狸のしっぽ タイランド編 2003年7月〜12月


NO.1 2003.7.8  タイに住んで一か月

サワディーカ! バンコクからこんにちは!です。
こちらに来て一ヶ月。日本での生活が、遠い過去の出来事のように感じます。

バンコクの印象は、蒸し暑さと、色々な臭い。ランの花と豊富な果物。色々な
ものを売っている人達の姿とのんびり昼寝する犬の姿。
高層ビルが立ち並ぶ大都会でありながら、路上にはさまざまな屋台が連なり、
野外炊飯のような感じで、人々が食事をしています。
豊かさも貧しさも、なんでもありで、面白スゴイところだと思いました。

今私は、週に二回、タイ語を習いに学校に通っています。
まるで音楽のようにも聞こえるタイ語には、九つの母音に、五つの声調があっ
て、発音がとても難しいのです。
「まーまーまーまー」と、声を上げたり下げたりするだけで、「馬が来る。犬
が来る。」という意味になるのです!
そして、まるで飾り模様のようにも見える、タイの文字です。

英語が通じる場面もありますが、私の場合は記憶している語彙が少なすぎて、
言いたいことも言えなくてもどかしいです。
身振り手振りで汗だくになって、なんとかしてきましたが、とても不便です。

この言葉の壁を越えれば、もっと自由で楽しい世界が、開けてくるはずです。
「開けゴマ!」いや、違った「開け回路!」
錆びつきかけた私の「思考回路」よ、新しいことを学習するためにスイッチ
をオンにして、「働けー!働いてくれー!」

ところで、昨日は、七夕でしたが、みなさんは、どんな願い事をしましたか。
私は、「この世界と自由に、コミュニケーションできる私です。」と、自分
に宣言しました。
以前も七夕の願い事のコツのようなものについて書いたことがありましたが、
「そのようになりたい。」というのではなく、「もうすでにそうなのだ。」
と言葉に出したり、紙に書いたりして、スイッチを入れてしまうのです。
そうすれば、とても良くできている、私たちの脳や潜在意識の仕組みが、そう
なってゆくように導いてくれるのです。
ま、人によって早い遅いはありますが、素直に信じてしまうのがコツです。

ということで、いつ、何処にいても、自分を見つめ、自分と仲良くつきあって
ゆこうと思っている私です。ふふふ。



NO.2 2003.7.20  アヤさんを雇う


サワディーカ! バンコクの朝は、サバーィ(気持ちがいい)です。
アパートの18階に住んでいるので、空が広く見わたせるのと、風が通り抜けて
ゆくからです。

タイに来て、アヤさん(お手伝いさんのこと)をやとうことになりました。
それで、周りの人達から色々なアドバイスを受け、自分でも色々考えました。

タイでは、身分の差などによって、人を厳しく区別するようなところがありま
す。日本人にはなじめない場合もあるのですが、長年続いてきているけじめの
ようなものを安易に崩すことは、タイの人に違和感を与えるのです。
一人一人の能力や地位を超えて、同じ人間としての仲間意識、友達感覚でつき
あってゆくということも、タイ人には、とまどいを与えたり、逆になめられた
りするのだ教えられました。
使用人の前では、きちんとしてないといけないと言う人もいて、なんかかえっ
てストレスがたまりそうです。

台所の横に、狭いもの置き場のようなところがあって、そこがアヤさんの部屋
です。その奥に、トイレのスペースがあって、そこにシャワーも付いています。
アヤさんが来る前に、ベッドを入れてもらって、この部屋で暮らすのがどんな
風なのか、とりあえず、一回ためしてみようと思いました。
広すぎて不便な部屋に住むようになったせいか、狭い部屋が落ち着いて感じま
す。夜には、部屋のドアを開けて、台所の横のベランダのドアも開けると、風
があればいいみたいです。でも、外の音や蛙の鳴き声が聞こえてきました。
シャワーを使う時は、トイレもぬれますが、ま、いいかと思いました。
慣れてしまえば、その環境で、それなりにやってゆけるのだと、感じました。

自分とアヤさんの境遇に違いがありすぎることで、なんとなく気の毒なように
感じてしまう心がありましたが、それも、役割りなのだと考えました。

私は、人は生まれ変わり死に変わりするものだと思っています。色々な立場や
役割を生きることで、人間とはどのような存在であるのかを学んでゆくのだと
思っています。
王様にも乞食にもなり、人を殺したり殺されたりもして、色々な国に生まれ、
男だったり女だったりするのだと思っています。
だから今生の人生はほんの一瞬のことに過ぎなくて、今回、自分に与えられた
(というより自分で選んだ)役割を生きることで、自分と関わり合うことになっ
た人達と、一つのドラマを生きればいいのだと考えたりもします。

主人と使用人の関係であれば、主人は胸を張って威厳のある態度をとったほう
がいいのでしょう。ただし、それはあくまでも今回の役割で、人はみな平等で
人としての尊厳を犯したり、人を見下してはならないのだと思います。
そしてそれは、色々な人生を生きることで、学んでゆくことなのだと思います。

タイに住むことになった私達と一緒に暮らし、私達の世話をしてくれる人は、
やはり深い縁のある人なのだろうと思います。もしかしたら、過去の人生でも、
お世話になったかもしれないし、その逆で、その時は私のほうが使用人だった
かもしれません。
どちらにしても、私達の出会いが喜ばしいものであって欲しいです。お互いに
より生き生きと自分を生きることができるように関わってゆきたいものです。


そして、実際にアヤさんと一緒の生活が始まると、ごちゃごちゃ考えたことは、
もうどうでもよくなりました。

今回、我が家に来てくれることになったアヤさんは、ナンさんという人です。
ある人が、日本に帰ることになったので、その家で働いていたナンさんを雇っ
て欲しいと頼まれたのです。
日本語も少しわかるし、働き者で、信用できるとてもいい人だということで、
面接に行った時、私はひと目見て、ナンさんが好きになったのです。
だから、ナンさんが来てくれたのが嬉しくて、嬉しくて。

ナンさんが来てくれたことで、「タイでの生活は、私の人生の夏休みみたいな
ものかもしれない。」と思えてきました。
役割どころか、子供に帰った気分です。
色々な宿題もあるんだけど、それは、ちょっと横に置いておいて。

バンザーイ! ワァーイ! 楽しいなぁ! ふふふふ。



NO.3   2003.8.8  ナンさんとの暮らし

サワディーカ! 
タイで暮らすようになってから、二ヶ月が過ぎました。
ナンさん(お手伝いさん)と一緒に暮らすようになったことで、私はより自分ら
しく生きれるようになったような気がします。
ナンさんが家事を担当してくれて、私に自由な時間と心のゆとりができただけ
ではなく、ナンさんの存在そのものが私の心を整えてくれたりもするのです。

お手伝いさんを雇うにあたって、周りの人から色々言われたり、自分でも色々
考えたのですが、私は何よりも、家では気を使わずリラックスして過ごしたい。
誰が何と言おうとどう思われようと、あるがままの私でいようと決めたのです。
(つまり奥様に化けるのはやめて、たぬきのままでいこうということです。)
だから日本語が少しわかるナンさんとは、いいお友達になって、色々なことを
話したりして、楽しくて笑いがたえません。
先日も二人で、週末に開かれる大きなマーケットに行きました。
めずらしい物を見ると立ち止まっては、これが欲しいと言う私に、ナンさんが
「奥さん、今日は見るだけね。」と、言ってくれたおかげで、衝動買いをしな
くてすみました。
マーケットの中の食堂でも、ナンさんがいたので、一食30バーツ(90円)ほどの
麺(色々なトッピングがある)と、カーオマンガイ(鶏ごはん)を注文して、二人
で分け合って食べました。それらは、タイ人の平均的な昼食です。

ナンさんは独身で、とても信仰心のあつい人です。仕事が休みの日曜日には、
お寺に行って、お坊さんの話を聞くのをとても楽しみにしています。家でも仕
事がない時は、風通しのいいベランダで、お坊さんの本を読んでいます。
私も、タイに来て最初に開いた本が、ベトナム出身の仏教の僧侶、ティク・ナ
ット・ハンの本(マインドフルの奇跡 壮神社)だったので、私達は似た者同士
だなと思いました。

タイは仏教国ですが、それは日本の仏教とは違います。それにまだあまり複雑
な会話ができないので、ナンさんがどんな考え方の人なのかはわかりません。
それでも先日、ナンさんが、「この人偉いお坊さん。この子供かわいそう。」
と言って一枚のパンフレットを見せてくれた時は、心が打たれました。
それには、エイズの人とその子供たちを集めてお世話をしている施設で、お坊
さんが、エイズにかかった小さな子供を抱いているところや、亡くなった子供
が葬られているところなどの写真が載っていました。
そしてナンさんは、いつかそこに行ってみたいと言いました。
私は、「この子は死んでもまた、生まれ変わって違う人生を生きるんだよね。
でも、今は悲しいね。とっても悲しいね。」と言いました。

夕食の後、ナンさんは自分の部屋でテレビを見たりして過ごしていますが、寝
る前になるとお経のようなものを唱えているらしい声がします。
私もタイに来てから、自分の部屋で、ずっと祈り続けることがあります。
この世界で起きている悲惨な出来事から目をそらさずに、そこで苦しんでいる
人達がいることに気づいていよう。そして祈り続けようと思うのです。

というようなことを考える時もあるけれど、基本的には毎日が夏休み、お気楽
な生活を送っている私です。そして時には、奥様に変身する時もあるわけです。

先日、日本から偉い人が来られて、そのパーティーに出席することになった時、
私には着て行く服がありませんでした。それで友達に頼んで、タイシルクの布
でドレスを仕立ててもらいました。そのドレス一着で、ナンさんの一ヶ月分の
給料と同じくらいです。
色々な思いがよぎりますが、これも私に与えられた役割なのだと思いました。

ということでタイに来ても、心ゆらぐ日々を送っている私です。
そしてどこに行っても、自分と似た波動の人同士は引きつけあうものであり、
結局のところ、自分に出会い続けてゆくのだと思いました。



NO.4    2003.9.1 言葉のワークショップ


サワディーカ! 
先日、言葉に関する「ワークショップ」を開催しました。その報告です。

この世界を平和にしてゆくために、たくさんの人達が色々な活動を行っている
と思います。その中の一つで、私が参加している「祈りによる平和活動」の仲
間が、バンコクに来ることになりました。
バンコクには、私の他にもう一人この活動に賛同しているちよみさんという人
が居ます。彼女はタイ人と結婚されて24年間バンコクに住んでいて、これまで
も、色々な活動をされてきた人です。

ということで、今回彼女と私は、日本から来る三人の仲間と一緒に、バンコク
で「ワークショップ」を開催することにしたのです。
ちよみさんは、インターナショナルスクールの先生をされているシスターを通
じて、小学五年生二クラスと、高校生一クラスの授業の中で、私達が「言葉の
ワークショップ」を行えるようにしてくださいました。

私達は子供達に、言葉には現実の世界を変えてゆく力があることを語りました。
そして、「水からの伝言」江本勝という本の中で紹介されているいくつかの写
真を見てもらいました。
美しい言葉、明るい言葉、肯定的な言葉を語りかけた水の結晶は、とても美し
い形になりますが、その反対の言葉をかけた水の結晶は、歪んだり崩れたりし
て形をなさないという写真は、とてもわかりやすく心に訴えるものです。
さらに、同じ状態のごはんを用意して、一方には、ありがとうという感謝の言
葉を、一方には、否定的な言葉を数日間かけ続けるという実験で、一方はその
まま、一方は腐ってしまうという写真も見てもらいました。

そして、私達の体も70パーセントが水でできているのだから、私達自身も、美
しい言葉、明るい言葉を語ったり、聞いたりすると、元気になるし、否定的な
言葉に接すれば、心にも体にも良くないのだと語りました。

そして私達は、数ミリ幅の同心円が印刷された真四角の用紙を、子供達に二枚
ずつ渡して、一枚には、その中心からグルグルと外側に向かって、「お水さん
ありがとう」という水への感謝の言葉を、書いてもらいました。
自分の好きな色のサインペンや色鉛筆で、思い思いのデザインを工夫して描く、
美しい「言葉のマンダラ」を、子供達はとても喜んで楽しそうに描いてくれま
した。
そしてもう一枚の紙には、子供達のそれぞれの国の言葉で、世界の平和を願う
祈り言葉「May peace prevail on earth」を書いてもらいました。

担任の先生も、私達がお伝えしたことにとても感動されて、「こうした授業を
他のクラスの生徒にも伝えたい。自分ももっと大きい紙に、美しい言葉のマン
ダラを描きたい。」と言ってくださいました。

今回、私達の仲間は、タイだけでなく、ベトナム、中国、インドなど、アジア
の八ヶ国をまわってこういった「ワークショップ」を行ってゆくということで、
とても大きな「言葉のマンダラ」のための布が用意されていました。
それは、彼らが行く先々で出会った人達に、一人一行ずつ水への感謝の言葉と、
世界の平和を祈る言葉を書いてもらうためのもので、すでに、インドネシアで、
いくつかの国の言葉が、色とりどりのペンで書かれていました。

今年は、国連で、「国際淡水年」と宣言され、世界各国各地で、水への感謝の
催しが開催されているそうです。そして、アジアに住むたくさんの人達の共同
作業によって描かれる、この大きな「言葉のマンダラ」は、後日、国連に届け
られるとのことでした。

短い出会いではありましたが、子供達の心に、美しい言葉を語ったり、書いた
りすることの楽しさと、それが世界の平和に役立つことなのだという喜びが、
きっと伝わったに違いないと思うと、嬉しくて胸がわくわくしました。

**********************************************************************

タイで暮らすようになってもうすぐ、三ヶ月になります。
色々なことがありましたが、未体験のことばかり、しかも言葉の壁があるので
いつも、まわりの人達に助けてもらっています。

そして、しみじみ思うのは、あるがままの自分でいいのだということです。
自分のできないことや欠点は、それを得意とする人にやってもらって、自分の
得意なこと、長所をさらに伸ばしてゆけばいいのだと思います。



NO.5   2003.9.10  世界平和の祈り

サワディーカ! 
日本を離れ、バンコクのアパートに住むようになって、3ヶ月になります。
毎朝、空を見るのですが、その時思うことは、私達は一つの太陽、一つの空気、
一つの水によって育まれている一つの「いのち」なのだということです。
私達が息をするのは、生きているからですが、その息は空気の中に広がり、混
じりあい一つになるのだと思います。

私達の色々な感情は、言葉のひびきになったり、言葉にならない吐息になった
りして、この世界に吐き出されていると思います。
植物達の吐く息も、私達の吐く息も一つに解け合っていると思います。それが
地球の呼吸になって、世界のすべてがつながって一つのいのちとして息づいて
いるのだと思います。

平和な世界であって欲しいというのは、私達の「いのち」の願いだと思います。
だけど、過去から現在に至る色々な出来事の中で、私達の感情や想念が、複雑
にかたくなに絡み合い息が詰まるような、苦しく悲しい世界の状態です。

人間も物質も、すべての存在は、つきつめてゆくと、粒子であり波動であるこ
とを科学は証明しています。
そして私達の想念波動が、この現実の世界を創り出してゆくのです。
さまざまな物質も元をただせば、そういうものを存在させたいと願った私達の
想念が創り出したものです。

戦争を起こしているのは、私達の憎しみや怒りや恨みの想念です。そうした感
情に心を支配されている人達の言動が世界に不調和と苦しみをもたらしていま
す。
私達は、それらの人々を非難したくなりますが、自分の心の中にもそういう暗
い感情が潜んでいることに気づかなくてはならないと思います。
私も、日々の生活の中で、さまざまな問題にぶつかって、怒りや恐怖や不安の
思いにさいなまれることがあります。
その度に心がゆらぎ、不調和の波動を周りに発してしまうことがあります。
だからこそ、気づいた時は少しでも、自分の心の中に明るい平和な波動をひび
かせて、暗い波動を消してゆきたいと思うのです。
そして、そんな時私は「世界平和の祈り」を祈るのです。

先日、日本にいる子供に電話をかけた時、元気のない声でした。それだけで、
心の中が不安になって、励ましの言葉も出てこない私でした。
世界の平和どころか、自分のことで一喜一憂してしまう私です。
まずは、家族がみんな健康でありますように。まわりの人達と仲良くやってゆ
けますように。自分の欲しいものが与えられますように。と祈りたいのが本音
です。

でも今私は、あらゆる場面で祈る時に、まずは「世界人類が平和でありますよ
うに」と祈ります。そしてその後に、心にかかっていることを祈ります。
はじめは、とても違和感を感じていた祈り方ですが、結局そのほうが願いがか
なうということを体験によって知りました。

それは、大きな祈りは太陽の光、自分だけのことを祈るのは、スタンドで自分
の所だけを照らしているようなものだと教えてくださった人がいたからです。

「世界人類が平和でありますように」と祈る時、その祈りの波動は、「世界が
平和であって欲しい」という大きな「いのち」の願いと共鳴します。そしてそ
の波動、「いのち」のエネルギーが、自分のところに流れてくるのです。
「世界平和の祈り」は、まず一番に祈った人に大きな光が与えられ、なおかつ
世界へ平和の波動をひびかせてもゆくというものなのです。
自分の心と、世界の心を同時に平和にしてゆく祈りなので、祈れば祈るほど、
自分の心が平和で明るくなるし、世界中に蔓延している暗い心を明るくする役
にも立つというわけです。

私は、去年の秋に「癌になる一歩手前の状態」と言われ、体調に関しては不安
を感じることがあります。家族のことでも、心配なことがないわけではありま
せん。
そして、テレビや新聞で報じられる世界の状況は、悲惨で、心痛むことが多い
です。
だからこそ私は、自分の心の中に不安、悲しみ、恐れ、痛みを感じつつ、それ
を抱きしめ包みこむように、祈ります。

自分の心の中に、不安や恐怖や悲しみが広がり、その感情に支配されて生きる
のではなく、どんな時も、自分の心の中を明るく平和な状態に保ち、周りにも
そんな波動を広げて生きてゆきたいと願って、ひたすら祈るのです。

「世界平和の祈り」は、些細なことでゆらいでしまう私の心を支えてくれる心
強い祈りです。
「世界人類が平和でありますように」と祈るとき、自分が世界とつながってゆ
く感じがします。
私達が、本当は、一つの「いのち」を生きているということが少しずつ実感と
して、感じられるような気がします。



NO.6   2003.9.27 「ピーさんのこと」


タイで知り合いになった友達の家に、ピー(タイ語で幽霊のこと)が出て、色々
と不快な現象が起きたので、霊媒師のような人に来てもらったということを聞
いた。
ちょっとお見舞い(?)もかねて、友達の家に行って、その現場を見せてもらった。
その部屋には、お札のようなものが貼ってあり、お供え物がしてあった。

この世もあの世(霊界や幽界など)も同時に今ここに存在していて、ただ波長の
違いで見えないだけだということを、私は知識としては知っている。でも、そ
ういう世界が見えてしまう体質の人もいて、友達もほんの少し感じやすいタイ
プだった。

そのピーは、アパートの建設工事の時になくなった女の人で、友達のアパート
のゲストルームのクローゼットの中に住み着いていて、ドアがしまったり、何
かの影が見えたり、クローゼットを開けると目がチカチカしたり、その部屋を
使うと何となく体の具合が重苦しくなったりとかいう、不快な現象を起こして、
友達を追い出そうとしていたというのだ。

話を聞いて、おく病な私は、ぞっとして、怖いな、いやだなと思った。
でも、二人して怖がっていても始まらないので、どうしたら怖くなくなるかな
と考えた。私達の心の中から、ピーに対する恐怖を消したいと思ったのだ。

そして私は、友達と二人でピーさんのために祈ることにした。
「ピーさんは、きっと貧しい労働者で、亡くなった時も、きちんとお弔いをし
てもらえなかったんだと思うよ。だからまだ自分が死んだことに気づかないで
いるんだよ。だから彼女に、あなたはもう死んだのだから、一度元の世界に帰
って、それからもう一度生まれ変わって、また違う人生を生きるといいよと、
言ってあげようよ。そして今度はもっといい人生を送れるように祈ってあげよ
うよ。」と、私は言った。

そして、私達が二人で心を込めて、ピーさんのために祈った時、なんとなく心
が軽くさわやかになった。そして、私達の心の中からピーさんに対する恐怖の
思いが消えていた。
「きっとピーさんに、私達の祈りが通じたんだよ。そんな感じがするね。」と、
二人で語り合った。

とはいうものの、これは昼間の話。夜のおまけの話がある。
その日はちょうど、パートナーが出張で家に居なかった。そして、夜になると、
ピーが怖いという感情が私の心の中にわきあがってきた。昨日までは何でもな
かったのに、友達の話を聞いたせいで、自分の家のゲストルームやクローゼッ
トまでがなんとなく怖くなってしまったのだ。そして広い寝室で一人で寝るの
は嫌だなと思う。
人にはえらそうなことを言って、自分も理屈では納得していても、長年からだ
にしみついている夜の暗闇や幽霊に対する恐怖の感情は、そう簡単に消えはし
なかった。
ということで、しかたがないので、私は、ナンさん(お手伝いさん)の居る台所
の横のリビングにゴザをしいて、その夜はそこで寝た。

**********************************************************************

「恐怖」の思いは幻想にすぎないと思います。私達は実体のないものに怯えて、
心を閉ざしたり、相手を攻撃したりします。
世界を不幸にしているのは、そういう私達の「恐怖」の感情だと思います。

長年かかって私達の心の中に住みついた「恐怖」の感情は、そう簡単に消えは
しません。でも、私達の知恵を総動員して、それをやってゆきたいと思います。
たとえば、ある友達は、「分身主義」という考え方を提案しています。
「私達は、もともと一つのいのちが分かれたもの。他人のように見えてる人も、
自分の分身と思えば、相手に対する感情も変わってくるのでは。そしてすべて
が自分なら、何も恐れるものはないはずです。」

私は、色々なことを体験する中でゆらぐ自分の心を見つめながら、どうすれば
私の心の中が平和になるかなと考えます。
そして、理性よりはるかに強く私達を支配してしまう、感情というやっかいな
代物と折り合いをつけてゆくことで、自分の心の中から恐怖を消し続けてゆこ
うと思っています。



NO.7  2003.11.2  タイ語脱落

サワディーカ。バンコクで暮らすようになって、五ヶ月が過ぎました。

タイという国のことを、もっと知りたいと思っていますが、私が見聞きするこ
とは、タイという国のほんの一部のことに過ぎないでしょうし、「微笑みの国」
と言われるタイの人達の微笑みの陰に隠された心に近づくのは難しいことだと
思います。

私が願っていることは、国や人種や宗教の違い、年齢や学歴や貧富の差など、
あらゆる価値観の違いを超えて、一人一人の人に出会ってゆき、その人と調和
して平和な関係でありたいということです。
そしていつ何処にいても、その時々に自分が出会っている人との関わりの中で、
結局は自分に出会い、痛みや苦しみ、寂しさみじめさ虚しさを感じることを通
して、心が育ってゆくのだと思います。

というような気持ちで、生きてきていて、なんか少し疲れました。

いい子の自分でなければという無意識の呪縛は、なかなかしぶとく私を支配し、
せっかくの自由な環境の中で自分の心を不自由にしていたことに気づきました。

ということで、あらためて、サワディーカ。マイペンライ狸です。ふふふ。
暑さのせいばかりでないけれど、自前のコンピューターの入力機能が作動しな
いみたいです。

先日、一週間ほど日本に行って帰ってきたら、ほんのちょっぴり覚えていたは
ずのタイ語を忘れてしまって、頭の中は真っ白。
11月から初級の3コースに進むつもりだったけれど、また二週間ほど日本に
行く予定もあるので、もう授業についてゆけなくなると思われます。
ということで、タイ語は保留。タイ語学校から脱落しました。へへへ。
ナンさん(日本語の話せる優秀なお手伝いさん)も「奥さん、サワディーカと、
タオライカ(これいくらですか)だけ言えればいいよ。」と言ってくれたしね。

私は、タイ語を覚えて、タイの人とコミュニケーションをとれるようになろう、
タイという国を理解しようと気負っていました。
そして、タイに関する本を色々読むにつけ、エイズや売春、森林伐採のことな
どが心に重くのしかかってきて、何も言えなくなっていました。

そんな時、ベトナム、カンボジアなど、アジアを旅しながら、ホームページを
創っている、息子と同じ年代の友達の言葉が心にひびきました。

「風のような愛になりたい。」

あ、それって私も、そうなりたいんだ。と、感じました。
そして自分が、息苦しくて、自由に生きていなかったことに気づきました。

その友達が自由について書いていたページには、普通の女の子と友達になりた
いなと思っているのに、相手が値段の交渉をしてくることが寂しくてショック
だったという体験の中で、自由でなくなってゆく自分に苦しんだことが書いて
ありました。

自分にとっての、善悪の価値判断にこだわっていたら、自由になれないです。
色々な人生、色々な価値観があることを受け入れつつ、自分を生きてゆこうと
思います。

そしてやっぱり、心ひかれるのは、「マイペンライカ」の言葉とタイの人達の
微笑みです。
たくさんのタイ語を覚えることはできなくても、自分をも相手をも赦す言葉で
ある「マイペンライ」だけは、言えるようになりたいと思うのです。

それは私にぴったりくる言葉のように感じます。

どうしょうもないやつだと言われても、
しかたがないじゃない。これが私なんだもの。

といったところの、マイペンライ狸でした。



NO.8 「天使の子守歌」  2003.11.8

サワディーカ。最近嬉しかったこと、しみじみ思ったことを、お伝えします。

私のホームページを通して出会った、きつねちゃんから「唄うチビコン」と
いう、メールが届きました。

先日、ちびこんが遊びながら、「♪じぶんを…しんじて…しんじて♪」
と口ずさんでいました。
彼は日頃から、テレビなどで覚えた歌を唄っています。
でも、
「『信じて』なんて言葉、いつ、どこで覚えたのだろう」
と、不思議に思っていました。
「そんな歌、あったっけ?」
すると、
「つよいひとに〜♪」
と続けて唄っていました。

ここでやっと、ちびこんの歌がわかりました。
たぬきさんの「天使の子守歌」だったんですね!
いつのまに、覚えたんだろう!

今でもときどき、
「赤ちゃんして(だっこして、「天使の子守歌」を唄って)」
といいます。
愚図ったときなどに聞かせると、
ちびこんの気持ちも落ち着くようです。

今晩も「赤ちゃんして」というので唄ったら、
「あかちゃん あかちゃん (可愛い赤ちゃん)
 (瞳の奥)に〜 (青空が)あるぅ〜♪」
一緒に唄い始めたので、つい笑ってしまいました。
とても可愛いです。

今の時代、情報や言葉が氾濫し、小さいうちから怖い言葉、
マイナスパワーを発する言葉を覚えてしまうこともあるようです。
実際、私がイライラして「うるさいなぁ…」
と頻繁に言っていたら、すぐに真似するようになりました。

たぬきさんの「天使の子守歌」のおかげで、
プラスのエネルギーを、自然に吸収しているようです。
これで、ポジティブちびこん、間違いなし…なーんて。
たぬきさんに、ちびこんの歌を聞かせてあげたいなぁ、
聞いて欲しいなぁ…と思う、きつねでした。


私は、とても嬉しかったです。

そして、この歌にたどりつくまでの、長い日々のことを思いました。

「愛しい我が子を愛せないのはなぜ?」と、自分の心に問いかけることから、
私が、本当の自分に出会ってゆく旅が始まりました。
そして「鬼の子守歌」から「天使の子守歌」まで、25曲の歌が生まれました。

旅はまだまだ続いてはいますが、私の心は随分明るく自由になってきました。

そして今私は、声を大にして、「人は変われる。なりたい自分になれる。いく
つになっても、今がどんな状態でも、それは可能なのだ。」と言いたいです。

七年前には、激しく自分を否定し、自分を嫌悪し、自分のすべてを消し去って、
赤ちゃんの時から生き直したい。と、思っていた私です。寂しさと虚しさと、
怒りの中で、傷を負ったけもののような心で生きていた私です。

私は自分を励まし、勇気づけるために、ずっと歌い続けてきました。
今でも、時々歌っています。自分の歌が好きですし、いいなと思います。


「天使の子守歌」 山田たぬき

赤ちゃん 赤ちゃん かわい赤ちゃん
瞳の奥に 青空がある
すなおな人に なってゆくんだね
やさしい人に なってゆくんだね
自分のことを信じて 自分のことを愛して
自由な人に なってゆくんだね

赤ちゃん 赤ちゃん ステキな赤ちゃん
お日様みたいな 明るい笑顔
あたたかい人に なってゆくんだね
楽しい人に なってゆくんだね
たくさん人を愛して たくさん人から愛されて
強い人に なってゆくんだね

ごらん世界は美しい
ごらん世界はあたたかい
心開いて いのちのままに 自分を生きてゆくんだよ

赤ちゃん 赤ちゃん いとしい赤ちゃん
ただそこに居るだけで 言葉はいらない
美しい人のままで 生きてゆくんだよ



NO.9  2003.12.11  ビューティフルボクサー


サワディーカ。バンコクに住んで6ヶ月になります。
先日初めて、タイの映画を見に行きました。とても面白かったです。

「ビューティフル・ボクサー」

ムエタイの選手から性転換をして女性になった、パリンヤー・ジャルポン(ノ
ーン・トゥム)という人の話です。
彼はチェンマイの貧しい家庭に生まれ、お金をかせぐために、ムエタイの選手
になり活躍します。さらに彼は、子供の頃から、女の子のように美しくなるこ
とに憧れる心を持ち続けていて、その葛藤に苦しみます。

彼は、化粧をしてリングに上がり一躍有名になるのですが、ムエタイの選手と
しての実力もあり、自分の心に正直に生きる彼の姿は、とても魅力的です。
彼は四年前、東京ドームで行われた異種格闘技の試合で、女子プロレスの女王、
井上京子選手と戦ったのですが、そのクライマックスシーンには井上選手本人
が登場しています。

映画で、ノーン・トゥム役を演じる、アッサニー・スワン(アート)も、チェ
ンマイ出身のムエタイ選手です。
とてもチャーミングな人で、私はすっかり彼のファンになり映画のサウンドト
ラックも、買いました。
(だって、タイに来てからずーっと、NHKの衛星放送しか見てないんだもの。
たまにはカッコイイ若い男性のでてくるドラマとか、見たいじゃないですか。)

ニューハーフとムエタイは、まるでちがう両極端のことのように思っていまし
たが、そのどちらも見事にやってしまった人がいるというのは新鮮な驚きです。
新しい時代の訪れの中で、自由でなんでもありのタイの風土が、女性性と男性
性の統合の一つの現れとして、トゥムを生み出したのかもしれないと思った私
です。

ところで、私にはこの映画の中のセリフはほとんどわかりませんでした。英語
の字幕も、三分の一も読んでいないうちに次の文章にかわるのです。
それでも、わかりやすい内容だったので、だいたい理解できて楽しむことがで
きました。

タイに来て、「言葉の壁」が立ちはだかっていると感じた私は、まずタイ語を
学んで、タイの人たちと交流してゆきたいと思いました。
でも、若い頃と違って習ったそばから忘れてゆく状態で、だんだん授業が苦痛
になってゆきました。それで、タイ語学校をやめたのです。
どうしても必要な場面で、その言葉だけわかればいい。辞書を持っていて、指
差せばなんとかなる。と、たぬき腹をくくったのです。
タイ語を勉強しなければ、という思いを手放した時、とても自由で解放された
気分になりました。
私が願っていることは、タイで出会った人たちと交流し、友達になることなの
ですから、「言葉の壁」にとらわれずに、心を開いて、自分のペースで自分の
興味に従ってゆこうと、改めて気づいたのです。

とはいうものの、実は、やっぱり言葉が全然わからないとつまらないかなぁと、
思う気持ちもあって、日本語が少しわかるナンさんを誘って、私がわからない
ところは教えてもらうつもりだったのです。
でも、実際に映画が始まると、セリフの意味を確かめているより画面を見てい
たほうが面白かったのです。
そしてナンさんが、私が聞きもしないのに教えてくれたことが一つありました。
それはこの映画のモデルとなったトゥムさんが、ほんの一瞬、エスティシャン
の役で登場した時に「奥さん、あの人が本物だよ。」と教えてくれたのでした。

ということで、ナンさんは私にとって、かけがえのない大切な友達なのです。
そしてさらに、ナンさんと私の面白体験は続くのです。



NO.10 2003.12.15 自衛隊の派遣について

サワディーカ。バンコクに住んで6ヶ月。
タイという国が、ますます好きになってゆく今日この頃です。
とはいうものの、大好きな日本という国のことも、ずっと気になっています。

私は「武器を持っての、自衛隊の派遣に反対です。」
「武器を持たないで、お手伝いできることを考えたらいいと思います。」

私は、自衛隊の人達は、過酷な状況の中でも、生きてゆくための訓練をしてい
て、災害の時などに、機敏に動いて人を助け出す力を持っているところが、素
晴らしいなと思う。
それで、自衛隊の人達は、武器は持たず軍服も着ないで、それでもレンジャー
部隊とかのような装備は持って、いくつもの小さなグループに分かれて、目立
たないようにして、支援活動に行っていただけるといいと思う。
そのために、たとえば、困っている他国のために、草の根のボランティア活動
とかをされている人達のこととか、その国で平和を願って、争うことを避けて、
国を立て直してゆこうとしている人達に関する情報を集めて、そういう人達を
サポートする、パワフルな助っ人として、支援活動をしていただけるといいな
ぁと思う。
その国の人達が、なんとか自力で生きてゆくためのサポートをするのが目的な
のだから、余分なものは持たなくていいと思う。

日本は国際社会で、これだけのことをやっていると、はっきり見える形でやろ
うとするから、危険なことになるのだと思う。
目立たないように、一箇所にまとまらずに、自分達が主導権を持つこともなく、
ただ、自分達の持ってる能力や経済的な支援を、現地の色々な状況を詳しく知
った上でやってゆくということを、日本という国としてやってゆけたらなぁと
思うのである。

今、日本の中で、武装した自衛隊を派遣することに賛成の人はどのくらいいる
のだろうか。
派遣に反対するだけでなく、じゃあどうすればいいのかという意見はどのくら
いあるのだろうか。
日本の将来を左右しかねない大事な時に、私達一人一人は、このことに対する
自分の考えをはっきり言い、つながってゆくことで、平和を守り、創りだして
ゆきたいと私は思う。

小泉さんはどうして頑なに派遣にこだわるのだろうか。
それは、私達みんなの心の中にある、誤った価値観のせいだと思う。
私達の心には、共同体の中で、認められるように生きなければならないという
思いがしみついている。自分はどうしたいということより、人からどう思われ
るかということが先にきて、みっともないことはできないと思ってしまう。
私達が発するそうした想念波動の集積が、国としての大儀名分という、頑なな
想念波動を支えているのではないかと私は思う。

私は、「祈りによる平和活動」を続けている人間である。
その根本にある一つの考えは、すべては波動である。ということだ。
物質も最終的には波動であり、私達の想念も波動である。
そして波動は共鳴しあう。類は友を呼ぶのである。

心の中に怒りや憎しみがある同士は、引き付けあいぶつかりあい、怒りの想念
波動をさらに拡大させてしまう。
暴力を暴力で抑えようとしてもだめなことはわかりきっている。
友好的で明るい平和な心、未来への希望を持った心で関わってゆこうとすれば、
そういう心を持った人達との出会いに結びつく。そしてそういう人達が力をつ
けてゆくことが、その国が平和になってゆくということである。
そのためのお手伝いをできることは嬉しいことである。
そして、そういう明るく平和な波動に満ちている場は、怒りや憎しみの波動を
引き付けないと、私は思うのである。

だれもが平和を願っているのになぜ平和にならないのだろうか。
それは、自分の心の中を平和にしようとしない私達一人一人の責任だと思う。
そして、自分の心の中が平和でないことに気づいていないと、平和のためと言
いながら、誰かを攻撃することになって、結局憎しみと争いの波動を広げるこ
とにもなりかねない。

ということで、今私は、誰をも非難することなく、日本やアメリカ、そして、
テロリストの人達の心が、平和でありますようにと祈り続けているのである。



            狸のしっぽタイランド編目次